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今日は建国記念日、もとは紀元節とよばれていました。

記念日というよりも節という呼び方がしっくり、懐に落ちる気がします。

御節にはじまり、桃の節句、端午の節句・・・

節という字は竹冠がつく、竹は成長が早く、一定の間隔をおいて節があり、それが竹を強くしている。

節から芽が出て、成長を続けます。

ハスの植え替えの根っこも節があり、節目ごと目が出ていました、空を見上げた木々の節からも芽が出ている….

人生にも様々な節目があり、どんな時に節ができるのだろう、そして芽が出るのだろうかと。

人は自分が一番苦労していると思う人、節目なんて関係ないわ迷信よと思う方、きっちり節目を認識している人、様々ですね。

苦労が人の節とすれば、成長の芽が出てきます。

ただ、日の当たる方向へ芽を出します、苦労ばっかりと愚痴を言うところに芽は不思議と出ないのです。

節目行事へ供物をととのえ、祝う家は不思議と繁栄しております。

いじめ・貧困・辛さを経験しても、落ち込む必要なし、苦労は人の節、経験を通じ強くなります。

しかし、ちょっとしたコツがあり夢や希望、明るさを失わずに過ごすと開運の芽が出てきます。

そうそう、青鬼と赤鬼間違いを聞かれました

鬼の色には意味があり、仏教の五蓋に結び付けられている。
蓋は妨害の意味で、五蓋は修行の邪魔をする5つの煩悩のこと。

赤鬼は、「貪欲(とんよく)」。
渇望・欲望、全ての悪心の象徴で、豆をぶつけることで、自分の中の悪い心が取り除かれる。

青鬼は、「瞋恚(しんに)」。
悪意・憎しみ・怒りの象徴で、貧相で欲深い自分自身に豆をぶつけることで、福相・福徳に恵まれる。

黄鬼(白鬼)は、「掉挙悪作(じょうこおさ)」。
心の浮動・後悔の象徴で、豆をぶつけることで、自己中心的な甘い考えを取り除き、公平な判断が出来る心になる。

緑鬼は、「惛沈睡眠(こんちんすいみん)」。
倦怠・眠気・不健康の象徴で、自身の不摂生を反省し、健康に保つことを言い聞かせながら、豆をぶつける。

黒鬼は、「疑(ぎ)」。
疑いの心・愚痴の象徴で、豆をぶつけて卑しい気持ちを追い払い、平穏を願う。

「鬼に金棒」という諺もあるため、鬼は金棒を持っているイメージが強いが、持っているものも鬼の色によって異なり、赤鬼は金棒、青鬼は刺股(さすまた)、黄鬼は両刃のこぎり、緑鬼は薙刀(なぎなた)、黒鬼は斧である。

明るく笑顔の暮らしから、どんな開運の芽が出るか楽しみですね。

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