忘れないで
今年に入り痛ましい交通事故が多い、また、虐待で尊い命を落とす。
ひとつは葬儀に感ける僧侶にも責任がある、葬儀が悪いわけではありません。
亡者の送り方も様々、しかし、戒名や法名の意味を聞いても実践しなければ、やらないより悪い、知らなかったでは終わらないようです。
説法や法話を聴く、あー面白かった、坊さんの話は長い、だからなんなの、大勢が参集すれば本尊様の功徳・法力についてが多くなります。
お釈迦様は対機説法をされたと、ひとりづつの話を聴きその人が分かりやすいように説かれました。
どなたも困ったときは疾風が如き、よくなれば牛歩の如く、それでもよいのですが実践しなければ先は変わらない。
当寺の交通安全ステッカー、象が描かれ本尊梵字・祈願・交通安全・山号・寺名で構成されています。
象の向きこれが大事、象は仏様の乗物として描かれています、中には孔雀明王の場合は孔雀などそれぞれに働きがあり、意味合いが込められております。
ハンドルを握るあなたよ
それは私の背に乗る仏である
不動明王へ交通安全を掲げ
数ある中の真伝不動明王寺本尊よ
今より交通安全の祈願のもと
私は仏となったドライバーを乗せ
仏と意識するものを護らしむ
象の顔が右に向いている意味が分かりましたか?
自転車でもバイクでも同様です、自らが仏であることに気がつき、実践する。
自覚がないと悪へと走り、多くの人を苦しめ、その結果といえは言わずとしれること、自分が愛おしいと思うものへ災難を与え、自分へと帰って行く。
死んだらおしまいとはなりません、死後は生きている今の自分の悪行と善行が決め、救うのも蔑めるのも自分、無責任ほど奈落の底へ真っしぐらです。
しかし、そこから救い出す方法がない訳ではない、悩みも苦しみ様々だからこそ対機説法が葬儀より、今、最も急がなければならないことだと思うのです。
乗物一台に貼り意識をする、徳と得の差は大きい。
購入してから一年、或いは年末に、誕生日月、何かの機会があれば貼り直し、意識を高めるのも安全へ繋がります。
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