電話
あれから二年娘さんと同居するため、関東へ引っ越しされてから音信不通となっていました。
八十半ばの見知らぬ土地へ….
みんなが心配しておりました、引っ越し数ヶ月後に「本人はここにおりません」の手紙と大切にされていた、マントラ本連念珠と授戒の印、ご参拝の証「納経帳」が送られてきた。
誰しもが疑問に思った引っ越し、愛犬「チビ」ちゃんの御位牌と自ら生前位牌をお預かりしている、そこへ送られてきた念珠等一式を供え影参り、ご縁日へ信徒さんが寄るたび「どうしているかしらね」「元気だといいね」皆が案じている。
今日の午後、ご本人から電話がありました。
親戚やお寺との縁を遮断され、手紙も何通も書いたけれど宛名どころにないと帰ってきたと娘さんが言い、それでも、それでも、帰る場所は真伝さん、約束のウテナに法名を刻み…
終いには返事がないことに苛立ち、私宛に恨みつらみを書いたそうです、ところが申し訳なくとんでもないことをしてしまったとの思いから謝らなければの一念。
真実は、同居していたのは僅かな期間、財産も取り上げられ施設へ入れられていたのです、家族の承諾なしに手紙や荷物は拒否する手続きが行われていたようです。
今は、切手も便箋も買えず10円のお金もないと涙声で話します、せめてお経本・念珠を枕元へ置きたいとの切実な願い。
見舞いに訪れた婿さんへ拝み倒し、借りた電話から内緒で連絡をしたとのこと、寺内一同その声を待ち続け二年やっとお元気だと嬉しくて阿闍梨や事務方の目にも光るものがある。
きっとこのブログを読んでくださるなかに、思い当たるお姿が浮かぶことと思います、そしてきっと安否が取れたことを心底喜んでくださるでしょう。
なかには関東まで探しに行ってくると仰ってくれた方も、真伝には檀家制度はありません、人々の信頼が結ぶ情という絆で結ばれております。
手紙は家族や関わる人たちが出したと偽り、電話も取り上げてしまっていたのです「先生、あんなことを書いてごめんなさい。心配してくれた通りになっちゃって、お寺へ帰りたい。私が帰るところは真伝だけです」家族の許可がない以上どうしようもない法律という壁が立ちはだかる。
八十半ばの年老いた小さな願いを叶えてあげたい、いつでも帰ってきてもいいのです、ましてや法名を授けた寺ですから実家同然。
まずは、お元気で認知症もなく安心いたしました、内緒の電話が娘さんに知れ責められないことを御本尊様へお願いしました。
いつか、誰もが年老いて通る道、若い時は勢いにまかせいろいろ歩んだ道、年寄り先祖に感謝をしても責めて何の徳にもならない、自分のしたことはいずれ出たところへ帰るもの。
娘さんも気がついてくださることを願う。
生きていてくださり、ありがとう!!
コメント ( 8 )
トラックバックは利用できません。
なんとうれしい記事でしょう!
ご存命で、お元気でよかった!
その方の願いが叶いますように・・・
わっこさん 先ずはご存命でいてくださったこと嬉しいですね、御不動様は見ていてくださる、ありがたいことです。
年も近い・・・
お元気でいられた事
良かった
テラちゃん
今日も皆さん良い日にね
namahagさん ばぁーばしゃんも元気でいてくださいでちよ♪
嬉しいお知らせで安心しました。
数年前浄土寺団参でご一緒した折
体調を気にしながらも参加でき喜んで
おられた姿が浮かびました。
折しも令和元年6月に団参という時期のお電話、ご縁というのか絆を感じました。
ちぃよさん ちぃよさんとも長いご縁、一緒に案じてくださり心強かったです。いつも皆さんと一緒に居たい、寂しがり屋さんでしたから腕の骨折をされても四国へも行きました。そして親のように兄弟のようにと皆さんが手を貸し足となり、そんな優しい人達のところへ帰りたいと言っていました。きっといいことある!!ですね。
こんにちは、昨日はお忙しいところお時間を頂戴しましてありがとうございました。二男も住職さまのお話に何か受け止めた事でしょう。若い時に大切なことを聞いておくということは大事なことと思います。化学で証明されない事柄はすべて否定する現代人、特に学識経験者に多く見られるような気がするのは私だけでしょうか?
この様な方によく見られる話でないでしょうか。一生懸命に育てて頂いたにあろうに、悲しいなぁ・・・。
子どもは見てますよ、あなたもお気をつけてください。
住職さま無事帰りました。
まだまだ、お会いできるのを楽しみにしております。
広島の島 小松さん ご遠方よりのご参拝ご苦労様でした。ジョニーくんも見ていてくださいます、生き仏さまのように精進していきましょうね。