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心棒

先般より、テラへ心温まるお葉書やお手紙、供花・ステッカーなどお心遣いを頂戴いたし、テラになり代わり心より御礼申し上げます。

出会うべくして生まれた縁、別れるべき時を迎えた、皆様方と等しくその間を同じ重さの命を生きてきました。

辛いでしょうとか、落ち込まないでとの優しいコメントやメッセージをありがとうございます。

座敷オヤジさんがコメントされたように、不思議なほど悲壮感もないのです。

愛おしい魂を包み込んでくれていた優しい体へ感謝と共に送り出し、テラの魂そのものが無くなった訳ではなく、そばにずっと一緒だからです。

約束のうてなの前に立ち合掌すれば、亡き人々が「おはようございます」「今日は」生前とお変わりないお顔で迎えてくれます。

動物さんたちのうてなの前で「チビちゃん、モモコちゃん、モモちゃん、にゃーごちゃん….テラちゃん、お早う!」って、声を掛けると皆んな走って来てくれます。

そう、いつもと何も変わらない朝を迎え、一本の棒を持っているから笑顔で居られます。

多くの方は、この魔法の棒に気付かず「幸せ」を求め迷われ、人生は辛いものよと仰られる、私とテラが出会ったとき魔法の棒の話をしてあげました。

幸せは自分の心にあり、気の毒だとか可哀想だとかの尺度で計りません、勿論、私にも悲しいことや腹がたつことも精進が足りないのでしょうか、未だにあります。

そんなとき魔法の棒を心につっかい棒します、気づいたときは横になっている不思議な棒、孫悟空の如意棒のようなものでしょうかね。

そうした15年近くを過ごし、遠からず同じ旅の空へ行く我が身をいつもの忠犬ぶりを発揮しながら待っているでしょうから、皆さんへ早く魔法の棒を知っていただきたいです。

来月の縁側説法でお話をしましょうか。。。

明日は「初不動」です、どうぞご参詣くださいませ。

 

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  • コメント ( 2 )

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  1. 座敷オヤジ

    名前を出していただいたので・・何度も読み返し考えさせられるお話ですね。

    普通なら心臓が止まり動かなくなってしまったらそれは死であり生の終わりであると考えるのですが、住職には魂とか霊と呼ばれるものがまるで生きているように感じられるのですね。

    残念ながら私には見えませんが、そのように教えてもらうことで大切な人やペットを亡くした方も喪失感を和らげることが出来るのならありがたい事だと思います。

    人々が昔からお墓にお花や線香などをお供えするのも魂や霊が存在することをどこかで信じているからでしょう。

    これからも我々の知らない知識をこのような場所で教えていただければ幸いです。

    • wakei

      座敷オヤジさん なんと表現すれば良いのか難しいですが、観えたり感じたりと様々です。楽しい話もあれば聞くにも辛いお話もあり、テラの場合も触れるという質感がないだけで普段と変わりないのです。ただ、悲しみすぎると魂の波動が共鳴し、あの世に引き込まれるようなこともありますので、現実をしっかり見据え己が生き様を暮らさなければなりません。あの世は私の自由になる世界ではなく、ただ全てが「ご縁」であり、供養というのはそのご縁の魂の荒い波動を穏やかにすることができるのではと思います。供養というものがなければ荒い波動の魂が多くなり、必然的に根性の我々の魂も荒ぶるように思います。過去の戦争も相手を思いやることが少なくなってきた時に起こっていますから、これからの時代もそのようなことを懸念しなければならないかもしれません。形にとらわれず心から念じ神仏と感応する、シンプルだけれども大切なことだと思います。

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