志を共に
スイッチを入れれば電気がつき、蛇口を捻れば水が出る
当たり前だと思ってしまうけれど、誰かが働いていてくれている、所謂お陰さまがあってのことなのです。
誰かがやるから自分はしなくてもいい、そう思ったときから自分の生きる目的から迷いの道へと続く。
山には当然のように水道が通っておらず、不便なことが多いのです。
水質検査を受け、年二回の水タンク清掃を行っており、今日も水を抜き清掃を行う。
今日は5名でエンヤコラ・どっこいしょ、何年かに一度はホースを取り替える作業があり、まぁなんと重いのでしょう。
頼もしい男性陣達の額に汗が浮き、事務方と私は邪魔にならないようネズミのように走り、猫の手よりマシになったか疑問です。
ご本尊様と各家のご先祖様をお守りする、大切な縁の下の作業に手抜かり無し、ありがたいことです。
お手伝いの方が「きっと誰よりも水が美味しく、水が勿体ないと思うね」と仰っていました。
傾斜40度を荷物を担ぎ60メーターを登ります、息が上がりアスファルトの上に転がりながら休憩、興子さんからいただいたお煎餅と、お茶を送ってくださった匿名さん、生き返ったように元気が出てまいります、ありがとうございます。
資金不足な分を自らの力で頑張ろうと、結集した仲間たちで目的に向かい踏ん張っています。
何も残して逝けないがご本尊様への水を、これから先100年は心配しなくても良いように段取りをしております。
計画中の勧進も進まず、本来であればこんな時の勧進は末代まで語られる尊いものです。
私たちも次世代へ継承するため頑張ります、みなさんと共に生きている時代で、同じ目的が叶うよう重ねてお力添えを賜りますことお願い申し上げます。
コメント ( 4 )
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今で十分レジェンドだと、私には映っております。
民さん レジェンド、素敵な響きです。続けられるよう日々工夫を考えます。ありがとう。
末代までのお山の水・・・何事もあって当然この頃の生活?
私の小さい頃自宅の井戸っていうのかな
年に1度だったか定かではないのですが、
杉皮や木炭を取り換えていたのを思い出します
今は何も便利になりすぎて・・・
皆さん頑張っていられるのに、茶菓子くらいのお手伝いしかできず・・・
テラちゃんも応援してると思います。
今日もお陰様の1日に
興子さん 誰かが応援していてくださる、ありがたいことです。阪神大震災のときや四国の渇水時に活躍してくれた井戸、あの当時はまだまだペットボトル水など復旧しておらず、こちらの信徒さんたちと必死にポリタンクに水を詰めたことが思い出されます。お山の手入れができるのも「献木志納金」によるものです、水道以外の水を常に確保しておかなければ命に直結していますからね。神仏へお供えさせていただき、災害などが起こらないことを願っています。