子供の仕事
なんということではないのですが、ビニール袋などという時代じゃなかった子供時代
みんな家族のために仕事を持っていました。
春や秋になれば多くの人が仕事を手伝いに我が家へきます、小学校低学年の頃は私も昼食の手伝い。
四十人ほどの魚焼き当番、七輪に火を熾しカレイの干物を2枚ずつ焼いていきます、初めて任せてもらった焼き当番♪
嬉しかった魚焼きも、身がボロボロになったり、焦げてしまったり、お昼頃になるとぐったりするほど「疲れ」が身にしみた思い出。
風呂の湯沸かし、野菜の洗い物、ちゃぶ台の用意、ひよこの餌つくり、落穂拾い、冬越しの漬物準備や味噌作り….
秋の終わりに大根を500本ほど引っこ抜き、初雪が降る間際ともなれば、大根を洗う水も凍てつくほどしゃっこい(冷たい)。。。
綺麗に洗わないと怒られないかわりに「ほれ、食べてみろ。」味見もさせて貰える、口の中でジャリッ….「よそへ行き、そんな思いをすれば腹が立つじゃろう、嫌な思いもするじゃろう?」一生懸命覚えれば「ごちそうさま」「ありがとう」「美味しかったよ」って、ご褒美の笑顔が返ってくる。。。お婆さんが教えてくれました。
みんなでご飯を食べるときも、大黒柱のお爺さん、父親、お婆さん、私、母とご飯をよそう順番も決まっていました。
感謝の順番なのです、母が最後なのは「しゃもじとヘラ」を持たされた重責の位置にあるからです、家族の健康を担う女が家に来た「嫁」という字は外からきた女って書きますね。
因みに古くなると「姑」
話が飛びました(笑
子供の頃から仕事を持っており、いつの間にか身体で様々な経験をさせて貰っていました、ありがたいことです。
そんな訳で、10時や3時のおやつも準備するのです、おしゃれな袋などあっても高価「盆と正月・春秋の彼岸」にしか使いません。
昼食の後片付けが終わると前の晩作った「新聞紙袋」へ、三種類くらいのお菓子を人数分用意します。
春の午前中は「餅あるいは団子」、午後から一斗缶に入ったお菓子を小分けして出します。
秋の午前中は「ジャガイモ・かぼちゃ・トウモロコシ」などを蒸したり茹でたり日替わりメニュー、午後はお菓子と果物。
ジャガイモ40個の皮剥き、結構な重労働ですがお菓子の袋詰めは従姉妹と二人の美味しい仕事でした(笑
私達が貰えるとお駄賃は、割れたり折れたりしたお菓子です、ちゃんとしたものが食べたかったら一人前に仕事ができること、手伝いに来てくださる人がいて自分たちも食べていかれる。。。あの頃の夢は形があるお菓子が食べたいねと従姉妹と話をしていたものです。
田や畑へ届け終わると、明日の分の袋つくりが待っている、みんなが帰ってくるまでにお風呂の湯も沸かさなければなりません、結構ハードな日々でしたから、学校へ行きたくて仕方がなかったけれど、春と秋の繁忙期は1週間家の手伝いをするよう休校なんです(汗
そういえば春と秋になると祖父母から半紙袋つくりを頼まれました、甘いものが貴重な時代でしたから菩提寺から御本尊様へお供えされた「落雁」のお下がりを頂戴する風習があり、家族に持ち帰りができるよう白袋を届けていました。
もちろんお駄賃は「菊の花落雁」の一番下段大きな落雁、それを何日も大事に味わうのです♪
久しぶりに手作りの袋、故郷北海道の亡き御先祖様のお顔を思い浮かべ、改めて感謝の思いを御回向させていただきました。
被災者の方々へ、陰ながらお祈り申し上げます。
合掌
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