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水乞い魂

山の木々が悲鳴をあげ、ジッと目を凝らし時を待つ….

来月の重陽に間に合うよう、下準備をコツコツ行いながら15日の装束縫いの準備も進めています。

本堂改修工事の際、大きく間取りが変わり中断されていた「水乞供養」を再び行えるよう水乞棚を設置したいと思います。

あまり行われているお寺は少ないでしょうが、お釈迦様が入滅前にとても喉が渇き弟子に「水が飲みたい」と仰り、しかし、川の水が濁っており困っていたところ、お釈迦様の危篤を知り飛んでやってきた鬼神の力によって清らかな水となり、お釈迦様が召し上がり満足され息を引き取られたそうです。

いろいろな宗派の教えがあると思います、しかし、亡き人々の魂に宗派も国境もなく、水を乞う魂がいるとだけ書きとめます。

事故や災害、戦争や飢饉などで亡くなったもののほとんどが「末期の水」をいただける縁はなく、末魔が引き千切られる思い所謂「断末魔の叫び」をあげながら….

末期の水には諸説あるでしょう、捉え方もことなるかもしれません、しかし、僅かな期間の断水を経験した方々は水のありがたさとたった一杯の水に安堵した経験はないだろうか。

お寺へご参詣されたとき、自らの手により一杯の水を供えられ、お帰りになられるとき次の方のために湯呑みを洗い収める「水乞い棚」と湯呑みを収める棚を設置したいと思います。

阿闍梨が葬儀や法要の際、遠近に関わらずお寺から「浄水」を持参し、御回向をさせて頂いております。

お寺で「水乞供養」を自らさせていただく、その棚を皆さんの浄財で整えられないかと有志のお声をお待ちいたしております。

一杯の水がお金に変えられないほど貴重なもの、奇しくも暑さのなか飢え渇きを経験された方々にとって、そのありがたさは言葉に尽くせぬものです。

宗教が違うから水は要らない、そんなことはないです。

生きとして生けるものには、水というものは命の源と捉えれば小さな壁など苦にならないものですけれどね。

さてさて、山の整備も半端な時間では復旧できないくらい大掛かりになりそうな気配、毎日コツコツ続ければなんとかなると思います。

今日は「ムカゴ」を見つけ、御本尊様へ供えて山へ戻します。

夕方、福島県のあいりさんと東日本大震災以来、久しぶりのお話をさせていただき嬉しかったです。

明日、お天気が回復すれば山へ入り、柴刈りができればと、どうか風が吹きませんように。

 

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  • コメント ( 4 )

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  1. 座敷オヤジ

    こんにちは。昨日の午前3時頃、嫁さんの父親が病気で他界したのですが、今朝もう荼毘に付されてしまいました。複雑な家庭事情があったにせよ、拝顔出来たのは遺体安置所から火葬場に来てほんの数分でした。せめてお経をと火葬場で唱えさせていただき、白い布草履も昨日仕事の合間に作ったのを持って行ったのですが、棺は開けられない規約があるとのことで叶いませんでした。末期の水もきっと飲めなかったことと思います。

    少額ですが水乞い棚への協賛と叶うのなら布草履の回向をお願いしたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。

    合掌

    • wakei

      座敷オヤジさん ほんの数分でも心根の優しい座敷オヤジさんとお会いできよかったですね、布草履を義父様へ整えられたとのこと、到着次第水乞供養と御回向承知いたしました。合掌

  2. ひろ美

    水乞供養のために必要な水乞棚の設置。
    私も少しですが奉納したいと思います。

    18年目の愛犬。失明してヨボヨボしていますが
    朝一番 お水の皿一直線に歩いてきます。
    水を飲んでくれるたびに 今日も元気でいてくれる。と喜ぶ毎日です。
    人間でも動物でも植物でも 水で生かして頂いてます。ありがたいです。

    水乞棚 楽しみにしています。

    • wakei

      ひろ美さん ありがとうございます。ヨボヨボしていても、一日を懸命に生きていてくれる、ただそれだけでいい。ピチャピチャ飲む音に安堵を覚えますね。本日、調査と見積もりをお願いしたところです。

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