只今と未来
御加護を賜わります御本尊様の足元を、有志の方々と和慧プロジェクトとして進めております。
一昨年の台風から本堂を守ってくれた山の木々、痛々しい姿を見るもそれぞれが30メーターを超えており、莫大な費用を必要とするも全く予算がつかず途方にくれていました。
大倉庫裏の檜、この地を選びいつか本堂を建立する際の材として育てが、風の威力は半端じゃない、風雨が強く風が吹くたびに根元の大地が浮く、助けを呼ぶまでの間ロープ仮固定。
夜を徹し、伐採したのが昨日のように思い出される。
本堂正面の大木も被害に遭い、傾斜地であること高さが35メーターを超え、根元は直径1メーターもある、5本に分かれそれぞれが40センチの太さ…
道路側へ倒れると大変危険、どのように皆さんとお守りできるか、悩み苦しい一年であった。
奇しくも、幼い頃に両足を手術したところが限界をとっくに過ぎており、このチャンスを逃せば座ることも歩くことも出来ないとの医師の判断。
それはそれとて構わないのですが、半年一年の間みなさんの側から離れる…今はできない、生きることへの後押しくらいしかお役に立てないのに。
自問自答をするなか、阿闍梨とブータンへ出掛けることになりました。
高地であること、階段が多く寒暖差もあり、季節病の喘息と空気が薄く肺の弱さも気になる、誰も助けてはくれないし助けを求めることもない。
ただ、気力はある、どうにもならないなんて、これまで人生に一度も考えたこともない、仏様が私にとり必要なことを与えてくれる。
ブータンの寺院で行う礼拝、気遣い立ったままの礼拝を勧められたが、迷わず行う自分が嬉しかった。
何処にいても遥拝をかかさず、いつもの如く。
そして改め御本尊様の側でお仕えさせていただき、できることを実践する今まで通りに。
井戸を掘り、蓮池を掘り、本堂正面境内地を整備、無理強いをせず遠近に関わらず「和慧プロジェクト」として心を共にする方々とコツコツ未来へ向かって、只今オマケ日々を重ねていきたいと思います。
病も怪我も、不幸も何でもありの人生、お役御免の沙汰が出るまで、この世を楽しみ、あの世で待つ信徒やご先祖さまへの土産話をたんと堪忍袋へ納め持参する予定。
こんなんだったところが
今朝はお地蔵さんの柄杓が凍っていた、寒いはず♪
仏さまが観ていてござる、今日もいい日やった
死ぬのはいっぺん、それまで悩んでも苦しんでも、楽しんでも一日よ、選ぶのは自分、地獄に落ちないよう心して楽しもう♪
コメント ( 2 )
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「ただ気力はある、」
そのお言葉が本当に羨ましく思います。
私の身体的な健康状態は、世間的に見ると、ずっと恵まれたものといえますが、時々、突然、世の中が味気なくなり灰色に見え、何を食べても美味しくなく、何に興味を示すのも面倒になって、人と話すのもいや、人の声を聞くのもいや、人を見るのもいや、と、引きこもってしまいます。早くて3週間ぐらい、1~3ヶ月、どんよりした中を過ごし、生きているのか死んでいるのかわからない生を過ごしているうちにようやく「なんだか今日は調子がいい」という日にたどり着きます。やっと復活。
私は、恵まれているのでしょうが、ものすごい重荷をつけて這いずっているような気持ちにです。
春が来て、雑草が蕾をつけても、私の心は凍ったままのような気がするときがあります。
自分の住む街と自然への感謝の気持ちとして、ゴミ拾いをしたり、道の生い茂った雑草を刈ったり、働いている時は、他の人がしないゴミ捨てなどの雑用をしてきましたから、自分が感謝を知らないわがままな人間だとは思いたくないけれど…。
どうしたら、「ただ気力はある、」といえる状態になるのでしょう。
智子さん 啐啄。