いつかの少年
今日のような暑く晴れた日、思い出す少年がいる
何台かの自転車集団があった
車の渋滞もあり、抜きつ抜かれつ….
少し髪が伸びた少年が真っ赤な顔に汗で髪がペタリ、必死に走る姿が目に入った
学校の行事で近くのプラネタリュウムまで行くのだと信号待ちで聞いた
少年を乗せ送ってあげようかと聞いたら、同級生が「こいつんち、貧乏だから自転車買えんのや!」
隣の子も「あったって、乗れんし!」無口な少年の顔が暑さだけではないようです。。。
通り過ぎても、この少年が気になり地元の子供達ですから、おおよその家が分かってきました。
何度か少年を見かけたものの、声を掛けずいました
ある日、自分の背丈よりほんの少し低い、大人の自転車を押しながらお寺へ通じる一本道の急坂を黙々と押し歩く少年。
どうやらお寺近くの公園へ来たようです。
時折、ガッシャーン!!大きな音がするので坂を下って行くと、少年が自転車を乗る練習に来ていたようです。
遠くから見守っていると倒れた自転車横から立ち上がらない、もしや骨折でもしたのではないか!
駆け寄り声を掛けた目から大粒の涙が溢れていた、足もあちらこちら擦り傷だらけじゃないですか….
「立てないの?」首を横に振る、「痛いの?」同じく首を振る、何度かの会話から自転車が壊れ泣いているとな。
倒れた拍子にチリィ〜ンと鳴らすベルが曲がっていた。
仕事がお休みのお母さんに借りた自転車、近くの公園だと友達に見られバカにされるのが嫌、学校で僕だけが自転車がないし、乗れないので悔しいとボツボツ話してくれた。
ベルが壊れた自転車を押し、少年と境内地へ戻りベルの修理をして上げたら嬉しそうな笑顔、足や腕の擦り傷の手当てをして包帯を巻いてあげたら、また、大粒の涙が….
急坂の下りは登りよりも危ない、家の近くまで車に乗せながら、次回自転車のサポートを引き受ける約束をしました。
補助輪の無い自転車の後ろを倒れないよう掴み、週一のペースで練習です。
まだ若かったからできたものの、今では体が追いつかない(笑
ある日、バランスが取れてきた少年を支える手をそっと離してみました、案の定うまく乗れるようになってきた!
ぐるっと回った先に私の姿を見つけ、一瞬フラついたものの立て直し、お見事!
後日、お母さんがお礼に訪ねて来られました、母子家庭なため満足に相手にしてやれなく、ある日自転車を上手に乗りこなすのをみて聞いたところ、学校行事のとき走っていたことも練習していたことも教えてくれ、あの子なりに親を庇ってくれてたのです、ありがとうございますと。
それからは走る少年の姿を見ませんでした、ところが、六月一台の若者風?名前は知りませんが境内地へ入ってきた自転車から男性が降りてきたのです。
「おばちゃんですか?」
えっ?、おじさんでは無いので「はい」
ヘルメットを取り「僕です!!」にっこり笑顔の瞳に覚えが!!
「大きくなったね!」
一瞬にして時が蘇り、懐かしい話や近況を語り合い、砂利敷きだった境内地とのぼりの位置が変わったこと、元気で何より。
「おばちゃん、今度、草刈りの仕方を教えてよ。今年は講師を勤めなければならないから難しいけれど、来年の今頃は必ず来るから長生きして待っていてね!」そう言いながらお寺をあとにしました。
今日も十八年ほど前、ご両親と「発達障害」に悩み相談へ来られた男性と名乗っていたと事務方に聞きました、所用があり出かけておりお会いできず残念でしたが、今は障害を持ちながら施設で働いているそうです。
あの時、いつかお礼参りへ来たいと思い続け、やっと念願が叶いましたと深くお不動様へ手を合わせられていたそうです。
一人で長野から運転して来たそうです、きっといつかまた会えます。
発達障害と聞けば穿ったものの見方をしてしまいますが、何が障害でどこが健常者なのか分かりません、一人の人として命を授かり懸命に生きようとしている、私も懸命に生きているのと同じだと思うのです。
よき師と出会い、時を掛けて技術を磨くことも、ほんの少し流れる時間と捉え方じゃないかしら、書籍というのはありがたいけれどそれだけを見て全てを知り得ることはできません、同じ時間を共有してくれる師や環境が重要ですね。
苦楽という言葉があります、苦のあとに楽がつく、楽苦は現代社会にはたくさんあり、これで苦しんでおられる方もいる、しあわせの形や受け取り方は様々です。
どちらを選択をするかは自分しかありません。
さて、今夜は少し書きものをします。
今日もいい日やった
コメント ( 2 )
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おはようございます。うちの息子もADHDとアスペルガーを掛け持ちしていたと知った時、それはそれは大変でした(^^;ですが今は無事に大学生になり、自分でアルバイト先を見つけて週に四日も通っています。成長したなぁと思うと同時に、振り返ってみれば大変だったのはわずかな期間で、完璧とは言えなくても自分で色々なことができるようになった、それだけで充分かなとも思います。
理想を求めればきりがないのですが、ただトイレに行った後はせめて手を洗ってほしいかな(^^;
座敷オヤジさん こんにちは 初めて神社の棒振りへ参加させる親御さんの決心、その側にいつも座敷オヤジさんが側にいてくれる。部屋でのキャッチボールの件(笑 奥様はじめご両親やおじ様たち、地域の方々の理解はどんどん嫌なことから逃げず、自ら進んで受けられていた後ろ姿。小さい時は必死だった時間が懐かしく、子供達が自分から進み社会へ出ていかれるようになったのも、座敷オヤジ一家の心根の優しさを実践してこられたからです。手洗いもいずれ気がついてくれると思います。誰でも、子供の心配は死ぬまで、いや死んでからも心配してくれる、ありがたいですね。