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改めてのお気遣い

着衣始(きそはじめ)のお品を年末の挨拶と共に届けてくださいました。

着衣始を覚えていてくださる方も少なくなり、ありがたいことです。

我が家は覚えている限り、幼い頃から「着衣始」の慣習がありました。

大掃除が終わり、一家で買い物へ出かけます、その際に新しい下着や服などを買ってもらい、大晦日の晩に枕元へ畳んで置く。

下着は男も女も、元旦は「白」と決まっている、子供心にもお正月は特別だと感じたものです。

代が変わっても変わらず行っており、阿闍梨がお世話になった寺にはたくさんの学生がおりました、年暮れには「足袋料」六月には「筆料」を届け、僧侶も学生も仏様へ皆さんの代わりにお仕えするために支障のないよう心がけておりました。

尼僧になってから仏に仕える際の身支度は、一切合切信徒さんへお任せしている次第です、時が過ぎるとともに、ご利益は貰うけれどあとは知らない、お家での教えが見えてきますね。

アスリート姉さんのお父さんと高野山にてお参りした際「住職が白衣や足袋までまっさら」と書いてあったから、僕もこの日のために新調してきましたと。

その時、いろいろお話をさせていただき「僕は貧乏やさかい、一日一日感謝しながらちょっとずつ貯めます。先生たちは俗世じゃなく仏さん側やな、拝んで助けてもらわなあかん。」素敵なお手紙を添えてくださり、届けてくれました。

また、地元の方からも「お足袋料」をいただき、ありがたいことです。

欲しいものがあったら言ってください、美しいように思える言葉ですが僧侶にとっては切ない言葉です、布施ではなく「たかり」と取られます。

乞食(こつじき)と乞食(こじき)程の差があるように。

白と赤の意味合いは、とても奥が深く重いものですね。

除夜の鐘を中止する寺が増えたそうです、拙寺は打とうにも鐘楼堂が無いのです(鐘がない)

鐘には除夜だけではなく、地域の危険を知らせる役目もあるのです。

火事など急を要する場合、防災放送ができない状況のとき、お寺の鐘が活躍し知らせの意味もあるのですから、突けないような鐘は勿体無いなぁと思います。

 

 

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