別れの哀しみ
車に携わりと言っても、特別運転が上手いわけでなく、メカニックに強い訳でないけれど、部類の車好きな父がエンジンをばらしオイル洗浄を丁寧に行っていた背中があったわけです。
昔の実家は外車ばかり、タイヤだけでも背丈を越える大きなトラクターやブルトーザーがズラリ、国産では間に合わない広大な耕作地ですから、北海道はでっかい(笑
田舎は人口密度が少なく人手も今よりズゥーッと無い、機械や車が僻地に近い暮らしを支える宝なのです。
環境でしょうね、さして番組が多くないテレビより、道具小屋から流れるラジオを耳に父の手元をじっと見る。。。
怪我で利き手の親指が根元から損傷していたけれど、微塵にも不自由さを感じさせなかったです。
力強く伸びやかな筆文字や墨画、そしてとても勉強家だったことが年々明らかになるに連れ、祖父の懐の大きさと父の勤勉、祖母の料理知識、愉快で誰かの為に骨を折ることを厭わない、そういう人になりたいと今で思う身近な人々の中に生まれよかったと。
今月、車検を控えていた車も八年を迎え、これから先と個人所有の車ですが4WDですから雪道に強く、普段は軽自動車こちらも個人所有、さて、過ぎ行く月日は早く、どちらを残しと考えている暇なくなってしまった。
取り敢えず査定へ….
走行距離の少なさは勿論のこと、エンジンや周辺、足回り、室内の綺麗さ、車体へ購入時保護のため施したもの、途中整備を怠らずということあり、珍しくグレードが高く、おまけに車体番号がとても若く、インターナビ搭載とくればある程度の高額であることは予想しておりました。
特に走り屋マニアにとっては欲しいところでしょう、この翌年の車は査定額が半分以下という不思議な値動きはやはり、父の後姿がものをいうのですね。
3分で福岡へ嫁入りが決まった!!
ところが….
その日、夜になり途轍もない哀しみに襲われ、涙が止まらないのですよ。
これまでに何台も別れがあったのに、こんな気持ち初めて….
訳が分からないほど涙がこみ上げてくる
祖父が亡くなったときよりも、祖母が亡くなったときよりも、父や母が亡くなったときよりも、そしてテラが逝ったときよりも哀しい。。。
そういう表現をしたとき周囲は驚いていた、ご先祖さんより車?!
ご先祖様やテラ、有縁の方々の魂は生きておられ、いつも側で様々なことを語ったり日常茶飯事ですから哀しみよりも暖かいのです。
なぜ哀しいか
折角の縁があり、素晴らしい走行性や安定性、パワフルな性能を活かしてあげられなかった。。。
お別れのドライブさえも時間が取れず、申し訳ない気持ちがある。
去るものはいかなる場合も追わない、執着もない、次の持ち主にも願うこともない縁ですから。
ただ、ただ、力量不足なため持てる個性を活かしてあげられなかった、そこが哀しいのですね。
いつもより広くなった駐車場、風が枯葉を飛ばす….
人生は長いようで短いもの、さて、蓮池プロジェクトのための活動を展開せねば!!
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