問う
日本の人口が激減し、ライフラインを担う人がいなくなったとき、あなたは生き残れるのだろうか。
先日、世界がひとつの宗教になったら救われるのだろうかと聞かれました、大変難しいですね。
人それぞれの信仰があり、誰かの教えが素晴らしいと集えば宗教となり、それじゃぁその教えが素晴らしいと思えるのか、そうではないから様々な宗教が生まれ消えていく。
そうしなければならないという枠ができ過ぎれば、息苦しくなる。
かといって集団となればルールが必要になる、ルールが増えすぎると動きが取れなくなる。
動けなくなると生まれた意味がわからなくなり、新たな苦しみが生まれる。
一人前という言葉がある、それはいくつになったらなれるのだろうか。
動物や鳥たちをみると、自分で生きていかれるよう餌の取り方、飛び方を学び練習する姿がある
私自身世界中を旅したわけでもないから、全てとは言えないが山に住んでいると生きるが見えてくる。
生まれてくるが決して当たり前じゃない、命懸けて産んだあと亡くなる母もいる、へその緒が切れた瞬間から生きるがはじまり、あったかい清潔な服があるとは限らない、ビニール袋へ捨てられたり…
虐待を受け死んでしまう子もいる、ペンギンの子育てを知ったとき、親がトラブルに遭い餌を貰えなかったとき、他のペンギンから虐められ死んでいく、幼い生きものが親を失ったとき死が迫ります。
他の格好の餌となるのは容易いこと、人はどうなのだろうか。
師となる大人が激減する現代、叱ればパワハラ、肩を触るだけでセクハラ、モラハラや何ハラだと壁を立てまくり、ものも言えずものを知らない者へ一人前の支払い。
職人や夢のある若者の世界が音を立てて消えていく、それも生き方といってしまえばお終い。
随分前に出版した本、そろそろ気づいてほしいと思う
敬いなどが失せ、ひっそり肩をすくめ黙って暮らすことに生きがいがあるのだろうか、極端な言い方をすれば葬式や墓、仏壇がなくてもあっても、どちらでもいいのです。
何のために葬儀をして、何のために墓をたて、何のために仏壇を用意するのだろうか。
それぞれに積み上げてきたところに道ができ、教え伝え次の生へ受け継がせる、それぞれの「生きる道」労わり、優しさ、生きる厳しさ、技であり、術であり、工夫などいろいろな師から学び、自分で食べていかれるようになっているだろうか。
大きな企業にいるから安心、いやいや人員削減など現実あるじゃないですか。
有事の際、国民の僕である議員たちが率先して守ってくれるのだろうか、一分一秒のただ今何が起きても不思議じゃない。
災害が起こらずしても、人口が減ればライフラインが消える可能性も、働く人がいなければ水も電気も食べるもの、ゴミさえ自分で処理しなければなりません。
資格があれば有利ではあるけれど、生きることに直結しているだろうかと台風の日に思う。
神仏には権利や自由なんて通じません、答えはあなたが一番よく知っていると。
経験というのは重要だね
来週から秋雨前線か台風の影響か、少し気温が下がりはじめる、夏バテが出やすいころ体力をつけてくださいね。
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