鬼日
八月もあと数時間、明日から九月ですね
子供たちにとって「自業苦」を味わう日かも、いつの間にかお母さんの頭に角が見え隠れする鬼日
学校へ行きたくてウズウズする子、行きたくなくてグズグズする子、どちらも経験済み(^^:
学校へいかなくてもいいという人もあれば、行くべきだという人もいる、どちらが正しいのか分かりません。
ある子が学校をサボり遊び歩いていました、その子の親友は勉強が大好き、まるきり正反対の子供達。
久しぶりに会ったおサボリの子が凄い勉強をしていた、尋ねると「勉強が大好きな友人が病気になり、死ぬ前に学校へ行きたい、もっと勉強したいと言って死んでしまった」
神も仏も無いと嘆き悲しんだある日、神も仏もないのなら自分が友人の願いを叶えてあげようと必死に勉強、いつしか勉強の楽しさ、学ぶことにより多くの人を救うことになる、現在は立派な医師としてさらなる志を立て奮闘されている。
様々なことがあるだろうけれど、学校は社会人になるための手前でもあります。
当たり前のように学べる国、しかし、世界には学びたくても学べない子が多く、貧困の国となっているのが現状。
どうして豊かにならないのか、学ぶ機会がなく活かすことができない、獣のような生き方しか方法がないのです、生活のため幼子を売り、性と薬物・暴力・貧困のなかで一生を暮らす。
学べる国に生まれたことが有難い、虐める子も虐められる子も、導ける大人が周囲にいたならば、そして本人に目的があるならば、学校は決して悪い場所ではない。
私は家より、学校が好きでした、特段勉強が好きという訳でもないけれど、図書室にはたくさんの本があり、分からなければ先生に聞ける、ものは捉えようです。
後悔があるとすれば、もっと学校へ行き学んでおけばよかった、あれだけ嫌いだった数学・音楽・図工、基本を学んでおけば、表現力が増えていただろうと。
時間を見つけては苦手をコツコツ、教えてくれる人がいる贅沢な環境を思い出しつつ、身につけ自らのため、何かを提供できる大人になれたらと思う。
人の姿をした獣になりなさんな
よい九月をお迎えください
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