苦
この世で一番苦しいことは何だろう、七十年も生かさしていただき、苦しみを振り返ればいろいろありました。
ただ、苦しみを克服すれば新たな苦と出会っていたように思います、思うようにいかないこと全てが苦ですから(笑
ありのままとは言うものの、そのような境地から程遠い自分もいる。
先日、医療従事者と苦についてセッション「和慧さんのお寺は他のところと違いますね」よく分からないが、目的を聞かれ極端な答えですが「吐く」と答えました。
相手が医療従事者ですから、理解しやすいと思ったから、仏教も医療も呼吸が肝心、息をするためには吐かなければ吸えないのです。
吸えないのは吐けないから、これが究極の苦しみかもしれません、人間関係でも聞いてもらえる(吐く)家族や人がいるかどうかにより、人生は大きく変わります。
真伝不動を開山した意味、吐ける場所としての山寺、ですからどこの宗派にも所属せず茨の道を切り拓き今の寺があります。
極端な話、まずは溜まり澱んだ苦を吐き、清らかな自分へ返る、吐ける場所があることの大切さなのです。
御本尊様は黙って聴いてくださる、吐いた分だけ浄らかな息を吸える、あ〜お参りできてよかったと感じるのでしょう。
吐ける場所を無くさないよう、喜捨をされ整えていく工事を続け吐いては浄め、いつしかその口からでる浄らかな言葉であふれる、口++=叶う
吐けないことは究極の苦しみ、息が吸えなければ止まってしまう、いわゆる死です。
吐いて吸っているだけでとりあえず生きられる、そのうち良い事にでも合えるチャンスもくる、キャッチする心(気づき)を磨いとけばなおよろし。
ただ喉が渇いたり、過呼吸などもあるから、喉を潤し(水)合図があれば調いやすい(鐘)そのような場所を自分のために施す、やがて他にもいき渡り、みんなが穏やかになるでしょう。
大型重機やトラックが大忙し
クレーンのドライバーさん、20数年のうち今回で3回目のご縁、驚くほど整ってきましたねと笑顔で再会です、やっぱりここはいいなぁって言ってくれました。
皆のもとへ「さ・ち」を運ぶ五色旗(*^^*)
紛争中のスーダンから退避できた、自衛隊の方々も任務とはいえ命懸け、帰国まであと少し頑張ってください。
いい日やった
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