布の話
人として生を受け、転んだり苦しいときもある、憎むのも恨みたくなるときもある
思うように行かず地団駄踏むことも、裏切りに出会うことだってある
今日の縁側説法ではお釈迦様が身につけられている袈裟を「糞掃衣」といいます、話の途中から私なりに思ったことをさせて頂きました。
供養とは、回向とはそれぞれに意味があり、浅学な私の感じたままを書き記せば、汚れ小さくなり布という役目を果たし捨てられていたボロを集め繋ぎ合わせた袈裟を身に纏い、対機説法をされていました。
私の捉え方、これはあくまでも私見です、ひとつ一つの役目を終えた布切れを人の人生と置き換えたとき、一生懸命苦労を重ねた命が尽き役目を終える。
やがて時が流れ何の先祖も忘れ去られる、お釈迦さまはその役目を果たした魂を時の空間より集め、繋ぎ合わせ身に纏い祈り法を説かれた。
そう感じたのです、常に身に纏い、回向をされ続けられた尊いお姿・・・寄り添い続ける、ありがたいことです。
そのようなお話をさせていただいた本日の縁側説法でした。
午後からはご相談者と時を過ごし、昼食もせず待っていてくれた事務方へ、昨日作っていた「水キムチ」を食べはやる心への一品、お野菜のお接待をありがたく頂戴いたしました。
ハッピーさん、よだれ掛けの御奉納、貴重なお野菜、欲しいサイズの風呂敷を有難うございました。
コメント ( 2 )
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ご住職様、松岡様、おはようございます。20日3時47分に無事に成田へ戻りました。最近よく眠れず、行きの車中でも全く仮眠できなかったのですが、帰りは何度も眠気に襲われて各所で長めの仮眠を取りました。休み休みしながら戻りましたので、ご連絡が遅くなりました。取り急ぎ、到着のご連絡でございます。ありがとうございました。
飛行機さん こんにちは ご無事の到着何よりです。寝られる時はしっかり睡眠をとり、体調を整えられることですね。また、お会いできますように