まいりました
業厄払いの荷が届きはじめました。
また、この期間はものの怪が闊歩するため、ゴリ押しの相談が多く丁重にお断りするも、引かない….、
そんな時は縁が音を立ててバッサリ切れていきます。
まさに業の塊がフツフツと突き上げてくる、霊感があるとかなんとか、私は自分に甘く人に厳しいです、どうぞ皆さん私を買い被らないでくださいね(笑
生き生かされることは有難い、結果だけを知りたがる方には尼さんと思えない厳しい言葉がピシャリ、昔から変わりません。
生きることに真剣になってほしい、どうしたらいいですか?自分の人生を他人に委ねる…私の傀儡になって生きるというのか、生きるということは常に死と背中合わせ。
多忙な時期ですから、電話対応など事務方も大変、偶然に私が出たのがお気の毒、それでも人は生きていくのです。
私などに縋っても救いになりません、人生の時間が勿体無いです。
共に目標を持ち生きる方と切磋琢磨できたらいいですが….
護摩修法の意味を知ると、本尊献灯と業厄払いの灯明は目的がハッキリと違います、また折角の機会に添え護摩木(お供え)もされない、勿体無いことです。
何事も選択するのはご自身です。
全てはお話しすることは禁じられていますので、縁側説法の際に何をしているのかを少しお話しできればと考えております。
イラっとしたせいでしょう、パソコンデーターの一部が損壊、仕切り直しにとても綺麗な緑のハンドクリームを作りました(境内地のハーブです)
ハーブチンキを仕込んでいました、とても綺麗な自然の色です、道端に生えているハーブから生まれた色、自然のパワーとそれぞれの個性に驚かされるこの頃。
湯煎にかけ、練っていくだけですけれど、自分で作るから安心でふんだんに使えますね。
空き瓶に詰めて出来上がり♪
明日は鏡開き、お下がりの小豆で善哉を仕込み中
祈りにはそれぞれ目的があり、それにより修法も変わる、初不動の護摩壇と業厄払いの護摩壇の釜口が違います。
添え護摩木へ種判を一本ずつ手押し、添護摩木(供物)を申し込まれた方の願意とお名前を記し、お札とハンカチへ祈祷する際のその方の供物を投じ、供物が火炎となって厄を落とし浄めます、供物に書かれたお名前を唱えていきます。
この時の灯明は「献灯」ではなく、自らの灯火、自分の為の灯りです。
本日のキーワード…まいりました、ドンピシャに嵌った(笑
よい春を迎える準備へ身も心も引き締め、ただいま行中!!
コメント ( 2 )
トラックバックは利用できません。
ご住職 おはようございます
昨日は縁結びにご利益のある神社にお参りに出かけました。そちらには「さざれ石の巌」が鎮座されていました。「なんで小石が岩になるの?」とは思っていたのですが、れき岩が…と科学的な説明がされておりますが、ピンときません。ピカーン!自分というさざれ石の1つにご縁のあるさざれ石がつき、また1つ、また1つ、巌になるんだ、という解釈もできるんだと気がつきました。「ご縁」大事ですね。
ご住職 どうもありがとうございます。
いい日やった
にーださん おはようございます。ピカーン! goodです(*^^*)