願いはひとつ
朝夕の風が強く、正面の山桜があっという間に満開
高すぎて白い桜が醜いですが、足元の蓮池をみると
花びらが浮かんでいます、みんなで頑張ったハス池、ひとりひとりの笑顔を思います。
ラベンダー
こちらは白のラベンダー過酷な環境で踏ん張っています。
ちょろぎも芽が出てきたけど…他のも負けじと顔を出す
ハナカイドウに癒されながら、境内地の点検ともう少しでのコロナのため、追加の土を階段で運ばなければならない、暑くなるまで、ゲリラ豪雨がくる前、梅雨に入る前に…気ぜわしく歯ぎしりしています(笑
お不動様を案じ、綺麗な蘭を届けてくださった山田さん、北澤さん御一家ご挨拶もせずごめんなさいね。
また、お気遣いをありがとうございました。
山籠り中の私を案じ、新鮮なお野菜をありがとうございました。
トン子さんからは見えづらい目で一生懸命縫ってくださった雑巾とお水、ありがとうございます。
佐野さん、義さんから種を飛ばす風のお気遣い、入れ違いに実は明日くらいに実が届くのではないでしょうか、思いが繋がっていますね、ありがとうございます。
あれこれ考え、つい蛇口を閉め忘れ…気を引き締め、これからの山場をどう乗り越えるか、お不動様、お地蔵様、お薬師様、妙見様と相談中。
明日もファイトです!!
コメント ( 4 )
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ご住職 おはようございます
教えていただきたいことがあります。
「合掌聞法、右手はみ仏様、左手は自分、み仏様と自分の心をひとつに合わせた姿が合掌です」という一文を見て、えっ!そういう意味だったの?無意識にただ習慣的に行っていた自分が恥ずかしく、情けなかったです…
きっと真伝さんでは折にふれ説かれていることなのでしょうが、「手を合わせる」ことの意味をお教えください。
にーださん おはようございます。合掌にはいくつかの方法や作法があります、言葉を発しなくても手の指や振り、形で意味を持ちます。真言系ではとても大切に伝授されており、一般的には右仏・左我身とも。恥ずかしいことはありません、にーださん がそうしたいと思う形が合掌だったのですから、尊い事だと思います。知り過ぎて頭でっかちになり形にとらわれすぎ、思いを忘れてしまい良いとか悪いになってしまうと本末転倒ですね。自らの仏と一体となり思う姿が合掌だと、私は思うのです。
ご住職 どうもありがとうございます。
うちの子が通っていた幼稚園の園長先生が教えてくださいました。「心は胸にあるんです。だから手はとても大事なんです。体を支える足はお腹から生えているでしょ。だから食べることはとても大事なんです」と。心のあり方、思いだと理解しました。どうもありがとうございます。
にーださん 子供達にわかりやすく教えてくださった先生へ感謝ですね(*^^*)