雲泥の狭間
作法と作業は雲泥の差がある
時代と共に変化させなければならないこと、しかし、古さにも意味があり、それを踏まえ今を生きる
古からの学びと変化させる意味、その狭間にいる、こうすると簡単に決めればよいのですがね。
例えば、人はいつから身を包むものをどのようにしてきたのか、着物という形はどこからきて定着し、今、西洋の服を着ることが多くなった。
しかし、何某の会・道となればどんなに気温が高くても、日本の正装として着物が多い。
古を求め資料を片手に模索中、しかし、本では見たいところが写っていない、写真で捉えられない作法を探しています。
他人にはどうでもよいことが、自分の納得をさせられず、それは一見しただけで得られるのに….
どうすればよいか答えは言わずともしれたこと、縁と時間を待つしかないと。
コメント ( 2 )
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ご住職 おはようございます。
止まない雨はない、明けない夜はない、と時間が過ぎるのをただひたすら待つ自分がいるときがあります。ダメじゃん|「ご縁」を待っていない自分に気がつきました。どうでもいいような些細なことのようですが、この違いが未来を変えてくれるのでしょう。
ご住職 どうもありがとうございます。
にーださん こんにちは 待つときは待つ、今!と思うときやる、やってもやらずしてもそれなりの種を蒔いている。やらなかった種、やった種、どちらがどのような縁で芽が出て花が咲き実をつけるかもしれない。一晩待ったら芽が出て、どんな縁がきて花が咲くやら、楽しみです。