美しくも怖い雪
日本海側から北海道まで大雪とのこと、こちらも➖4度となり何もかも凍てついた朝でした。
故郷は北海道、冬の厳しさと楽しみが背中合わせの時期ですね。
ほんの少し気を許せば「死」と直結することが多い冬、特に地吹雪といい風の強い日など外へ出ることなど許されません、二、三メーター前の先が全く見えず、道に迷ったり転んだりすれば一瞬にして吹き溜まりとなり、雪が細かいため息ができず窒息してしまうからです。
小学生のクリスマスの夜、父が隣町へ車でプレゼントを買いに連れて行ってくれました。
買い物を終え帰路に向かう空が急変、瞬く間に道路が雪に埋もれ、前進できなくなった車のエンジンを止め、ドァが開くうちにとトランクから毛布や農業シートを車内へ運び入れ、窓を少し開け蛇腹ホースのようなものを外へ突き出していました。
寒くて寒くて凍え死にそうなくらい寒かった、なのに窓を開けエンジンを切る、思い返せばエンジンをつけたままですと一酸化炭素中毒を防ぎ、車内が酸欠にならないよう準備していたのですね。
父が対策をしていなかったら、今の私は居なかったでしょう、何故ならば少し距離が離れていた他車の二台の人たち五人が中毒で亡くなってしまっていたからです。
豪雪地帯と地吹雪の多い地域に必要な知恵は、まさしく生と死の分かれ道、スッポリ車の天井まで降り積もった雪の外からラッセル車の音と「大丈夫かー!」の声。
助かった!!
真っ暗闇で夜なのか昼なのかさえも分からない車中、ガタガタ身体ごと震える私に父は着ていた革ジャンを脱ぎ頭から被せてくれ、普段寡黙な父の優しい温もりの香りが身体を包み安堵したものです。
あまり父と会話のない私が絶対的に父を信頼した瞬間だったのかもしれません、それは今に至っても変わらない信頼です。
普段は怖い父ですが、自分も寒いはずなのに迷わず差し伸べる手が大きく見えました。
父は部類の車好き、エンジンをばらし掃除しては組み立て、車内は整頓され、トランクの中も整理整頓されており、その中に赤い布が何枚か積み込まれていました。
ラッセル車がいち早く発見してくれたのも、父の工夫があったからこそ。
ラジオのアンテナを改良し、三倍ぐらい長く伸びるようにしてあり、そこへ赤い布を結んであったからなのです。
私の後輩も、地吹雪にあい自宅玄関3m前で亡くなってしまいました、平穏な時の100mはすぐそこに見えます、しかしながら風の強い吹雪では僅か3m先の視界も見えなくなる怖い世界、一歩判断を間違えればその先は地獄かもしれません。
こんな日に思うのです、スイッチを押せば電気がつく、その向こうに厳冬の中で山を登り電線の氷を落とす男衆がいる、中には家族のいる者もたくさんいるのではないか。
用を足し水を流せば綺麗になる、その先で昼夜闘っていてくれる人がいる、その向こうを考えると当たり前なんてひとつもない、文句を言う前に感謝と工夫を忘れない人でありたいと。。。。。
クリスマスの日は、数少ない父のでっかくて暖かい忘れ得ぬ想い出、父もテラも大好きな雪の日に旅に出た…..
みなさんも風邪を召されませんように
コメント ( 6 )
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住職様届きました・・・
年明け早々お騒がせ、お忙しい時間の中
有難うございました。
先ほど松恵様とも、お電話で・・・
今年は2人も前厄、タオルでもとお話ししたのですが、肌着でお願いした方がと
思い、準備します。
宜しくお願いいたします。
私の方が厄年みたいな?
お忙しい住職様、有難うございました。
此れからもこんなドジが、多々あるような気が?
今日はテラちゃんの一周忌・・・。
テラちゃん 今日も感謝
(人”▽`)ありがとう☆ね
興子さん ばぁーばちゃん、おいちぃものをたくさんありがとうでち。リスしゃんと鳥しゃんの微笑ましい写真、いいなぁ〜 ばぁーばちゃんの優しさがいっぱいでちね。雪やこんこんでちから、足元に気をつけてくださいでちよ♪今日もいい日やった
お父さんかっこいいですね!!いざという時の知識と冷静な判断に娘を守る実行力。こんな親父に自分もなりたいなぁ…
座敷オヤジさん ありがとうございます。座敷オヤジさんも素敵なお父様です、子供達が言葉とは違い尊敬の眼差しであなたのことを見ていらっしゃいました。
怖い雪・・・。私がかつて住んでいた場所からわずか10キロほどのところ(北海道です)で、2013年の3月に、吹雪で命を落としてしまったお父さんがいます。親子で猛吹雪の中、車が埋まってしまい、車から降りて、風速20メートルを超える猛吹雪の中、避難できる場所を探し求めたのです。小学生の女の子はお父さんのジャンパーを着させてもらい、お父さんが覆い被さるようにしていて助かったのです。翌朝7時に警察官によって見つけられたときには、もうお父さんは亡くなられていました。
しばらくは切なく、女の子のその後がとても案じられる毎日でした。
無くなってしまったお父さんの無念さを思うと、心が痛みます。
私は、その猛吹雪の日をよく覚えています。平屋住まいの家は、灯油ストーブのダクトが地上70センチぐらいのところに壁から突き出ていて、そこから吸排気をするのです。煙突ではありません。家の壁に横に小さな煙突があると想像していただければ。
平屋ですから、屋根からの雪もどっさりと落ちてきて、ダクトが埋まるのです。ダクトを覆い被せるように雪かきダンプを逆さに壁に立てかけておき、隙間を作ります。
吹雪の夜、吹きだまりができ、ダクトがすぐに埋まりました。玄関ドアを開けると、吹きだまりの壁が高く高く積もり、腰まで埋まりながら、ダクト周りの雪かき。顔に当たる雪は痛く、強風の中では息もできないくらいなのです。おそろしい風の音のなか、家の裏に回り、長い柄のスコップを頼りに、雪をよけるのです。
雪かきは追いつかず、命の危険性を思い、灯油ストーブを消して、オイルヒーターがそのときには活躍してくれました。
「不要不急の外出は避けましょう」というアナウンス。
幾度も聞くようになりました。
吹雪に備える。とても大切なことです。
まことさん その親子さんのことは私も心に残っております、とても切ないですね。今頃は見かけなくなりましたが北海道名産のトウキビを長いまま枯らし、塀のない北海道ですから家の周りに雪囲いを作り、吹き溜まりを防ぐようにしていました。昔は積雪量も多く二階から出入りできる工夫も施され、晩秋は越冬準備に大忙しでした。りんごも野菜も土を円形に掘り、藁を敷きその上に熊笹を並べリンゴや大根を並べ笹と藁を被せ、さらに厚く土を被せ冬仕度、積雪があっても位置が分かるように長い木の棒を立て目印。大きな樽には5ヶ月分のいろいろな漬物を作り保存、土室には人参やじゃが芋を保存しながら越冬していました。我が家の燃料は塊炭など石炭小屋が別むねにあり、大型ダンプで積み上げ二日分を居間へ運ぶのは子供の仕事でした。昔は子供にも年寄りにも仕事の分担があり、みんなが協力して暮らしていましたね。お寺は積雪が少ない分、凍てつきが多く十勝地方のような底冷えがします。自然に添うて暮らすことは大事なことですね。