時の狭間
今朝、御回向と御祈願を懇ろにさせていただき、お昼近くのことでした
見覚えのある男性が話しかけてくる、そばへ行こうとするが距離が縮まらない
死んでいるのか生きているのか….
そのどちらでもないようです、人の死は突然ではなく前兆の期間があり、どうもその間に入り込んでしまったようです。
例えるならばこんな感じ、周囲の景色が不透明で経験なない人であれば、絶望のど真ん中に取り残された恐怖心から発狂するでしょうね。
闇雲に深追いをすれば、自らも異世界へ引き摺り込まれるので、急ぎ引き返そうと
不透明な音もない世界で唱える不動真言、ありったけの声を振り絞っても音が返らない、わずかな手がかりを冷静に探る
経験してきた喜びを引き寄せ、やがてその経験が走馬灯のように映像となり、不透明な空間を埋め尽くす。
その時「住職、お先に失礼します」阿闍梨の声が聞こえ、「お疲れ様でした」と答えるのが精一杯、肉体の末魔が完全に戻り切っておらず、動けないのです。
どのくらいの時が経ったのでしょう、ようやく見えた時計の針が四時を指している
これはいけない!!寝坊してしまった、と、節々が痛むものの起き上がり、洗顔と着替えを済ませ本堂へ行き、駐車場の入り口を開け、妙に明るい朝だと違和感を感じるも御本尊様のお供物を整え、お灯明を….
お不動様がすくっと大きく前に立たれ、いくつかのお言葉と感応させていただきました、ありがたいことです。
実は、あの世とこの世の境におよそ四時間も居たようです、危なかった(汗
時空を超え長時間、時差ボケのような感じを御本尊様が調えてくださり、夕方の四時と気づかせていただきました。
感謝のお経を唱えたあと、サムさんと業者・配達の方々がそれぞれ来られましたが、異様な気配がしたのでしょうね、すぐにお帰りでした(笑
御本尊様との感応のひとつ「鐘」の名前がありました、これについては後日書かせていただきます。
その人は誰と気になるでしょうが、程なくあちらへ逝かれるでしょう、逝かれてからの一週間(初七日)の期間が如何に重要かということも、改め認識した摩訶不思議な一日でした。
合掌
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