寛容
出る杭は打たれる、報道・ネットのあり方を見てつくづくそう思う、そして心丈夫な人の少なさに嘆かわしい思いがある。
真実を見極めずに尾鰭をつけ噂を広げることが商売、昨夜のこと近頃出没する音響族と話をするため一人で出かけた。
山奥へ行くと15・6台の車がずらり並び、大きなスピーカーがいくつも取り付けられ、周囲には女性や子供を含めた大勢が歩み寄る私へ一斉に視線を飛ばす。
誰かこのグループのリーダーがいないのか尋ねると、帽子を被った恰幅のよい男性が出てきました。
次にサブと思われる細身の男性が上着を脱ぎ、何かようかと尋ねたので本題に入った、このタイミングがとても大切。
堂々と身分を証し、頭ごなしに意見は言いません、少し話をはじめたところ「おばちゃんが僕らのことを理解していてくれたから、ここで集まれていたんですね」「そうだよ、だけれど少々やり過ぎたね、山の地形を見てごらん、音が空に向けラッパのような効果音がでると困る人もいるのよ。それと山には野生の動物がたくさんいて、ストレスを与え続けると反撃に遭うかもしれないよ。君らだって殴られ続けたら殴り返すでしょう。噛まれてからやられましたと被害届を出しても、多くの人はそんな時間に山へ子供を連れ騒げば可哀想とは同調しないよ」ひとりふたりと私を取り囲むように耳を傾けてくれた。
山には山の掟があること、危険と背中合わせであること、しかし、私にも若い頃があり、若さゆえのことも理解できるから相談に来たのよと「僕らも追われて集まれる場所がなく、ここを探したから此処もダメと言われたら困るから、音量を下げて時間も考えます」見た目は強面風ですが暗闇で見た目が澄んでいました。
ゴミを捨てない・タバコの火の始末も付け加え約束、寺の前は静かに通り抜けることも約束、なぜか「おかあさん!!ありがとう!!」えっ?!お、おかあさん…ま、いいじゃないの(笑
Uターンをして通り過ぎようとしたとき、一列になりクラクションとみんなが手を振って頭を下げていました、つい私も小さくクラクションで挨拶していたわ。
それから間も無く、スピードを落として寺の前を通過する若い人達、私の若い頃に出会った寛容な大人にちょっと近づけたかしら(*^^*)
様々な人生の場面で助けてくれた神仏や人々により今の私がいます、ありがたい事ですね。
どうぞ寛容なお気持ちで若い者の芽を摘まれませんように
コメント ( 2 )
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何だか良いお話ですね。最初はドキドキしながら読ませていただきました(^^;彼等も不満を抱えているからこその集団行動なのでしょう。
うちの近所にも最近身体に絵が描いてある車好きの兄ちゃん達が引っ越してきましたが、挨拶をすると話しかけてくれます。見た目が怖くても理解をしてもらえる人達には素直なんだなぁと思いました(^^)
座敷オヤジさん みんな自分の若い頃を忘れてしまっているのかも知れません、肩書きがついている人も親を泣かせて今があるのよね。あれもこれも駄目な日本、何もできなくなってしまい折り合いの付け方を知らない大人が増えたのかも知れません。誰でも帰る家がある、すごく幸せなのよ。自分の国があるっていうのも凄いことです、表現が下手な花柄のお兄さんだって、その昔は可愛かったと思います。人生の落ちこぼれなんて誰もいないし、それなりに一生懸命生きているから素敵なことね。